【もうひとつの「第九」】

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【もうひとつの「第九」】

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン L.v.Beethoven(1770-1827)。
言わずもがな名の知れたドイツのピアニスト・大作曲家だ。
特にクラシック音楽について見識のない方でも、厳格な表情をした肖像画が音楽室の後ろに並んであったのを覚えているのではないだろうか。

そんな彼の名作といえば、これも言わずもがな「交響曲第9番ニ短調《合唱付き》Op.125」である。
しばしば勘違いされるが「大工」ではない。「第9」ね。音楽の中では建築的ではあるけれども。

よく、「喜びの歌」や「歓喜の歌」とも呼ばれているので耳にしたことがある方も多いだろう。
年末によく流れているあれだ。(ちなみに年末に第9をやるのは日本独自の文化である。諸外国ではそのような慣習はない。)
「喜びの歌」の部分である第4楽章しか聴いたことがない方もいらっしゃるだろうから、ぜひ1楽章から4楽章最後まで通して聴いていただきたい。
彼の「苦悩から歓喜へ」といった音楽的特徴、本当の意味での「歓喜」を味わえるのは、やはり全体を聴いてこそだと思う。
打楽器業界の中では、第2楽章は通称“ティンパニ協奏曲”というほどティンパニが活躍する。そちらもご注目いただきたい。
(参考:https://youtu.be/5TEAJy2cWrM サイモン・ラトル指揮/ベルリン・フィル)

それまでの「交響曲」という形式の中で唯一無二の作品を作り上げたベートーヴェンという作曲家は、のちの作曲家たちの大きな憧れ・目標であり、また大きな壁ともなった。
有名なところでいえば、ブラームスなんかは第9が偉大過ぎるゆえに苦しみ、初の交響曲を完成させたのが40歳を過ぎてからになったほどだ。

前置きが長くなってしまったが、そんな不屈の名作といわれる「第九」の作曲に至るまでに、いくつかの道があったことについて言及しようと思う。

その中のひとつである、「ピアノ、合唱と管弦楽のための幻想曲 Op.80」。通称「合唱幻想曲」とも。
この曲は、これもまた「ジャジャジャジャーン」という動機が有名な「交響曲第5番《運命》Op.67」とほぼ同時期に作曲された。
1808年12月22日のベートーヴェン主催によるアカデミーにて初演されたのだが、この曲が演奏会最後の大トリであるにも関わらず、当時の記録によると
どうやら「前代未聞の大失敗」だったらしいのだ。
それもそのはず、本番の数日前に完成された上に、この曲のアイデア自体が12月に入ってから新たに加えられたというのだから、練習不足と時間不足のダブルコンボだ。

実際に音楽を聴いてみると、なるほど粗削りではある。が、「こんな曲が作りたい」という創作意欲が伝わってくるように思う。
彼はこの「失敗」にかなり打ちひしがれて長い間尾を引いていたようだが、その経験が第9を完成させる過程で大切なものとなったのだ。
(参考:https://youtu.be/BjiznsY0PVg ダニエル・バレンボイム指揮/ベルリン・フィル)

今でこそ大作曲家であるベートーヴェン。だが、よくよく人生の軌跡を辿ってみると色々な失敗をし、また小さな成功体験も積み上げている。
才能の有無はここでは議論しないが、そんな「楽聖」である彼も同じように、創作においてはひとりの作曲家としてまっとうに生きていたことが分かった。

そう思うと、「失敗」も案外悪いものではないのかもしれない。




(写真:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3)

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