【仮面】

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【仮面】

たしかあれは高校生の時だったか。
「仮面」という視点から人間について論じた文が、国語の現代文に取り上げられていた。
かなり印象に残っているのに、情けないことに詳細が思い出せないので今は出典は割愛させていただく。

仮面。
英語で「人」を意味するpersonの語源となったペルソナpersonaはラテン語で「仮面(ギリシャやローマの悲劇で使われていた)」という意味だ。
英語で仮面といえば「mask」だが、たとえば仮面舞踏会のことを「マスカレードmasquerade」などと呼ぶ。

本来顔を覆うものである仮面が人という意味の言葉になるのは興味深い。
日常の中で人々は様々な仮面をかぶっているともいえるのではないだろうか。
家の中の自分、会社や学校、職場での自分、友人や恋人と関わる自分、親あるいは子供の自分...
数えだしたらきりがないほど、毎日たくさんの仮面を取っては付け、与えられた役割を演じている。

私にとって「仮面」はキーワードになっている。
いままでに好きになった作品や文章からの影響もあるが、なぜか惹かれてやまないのである。
――もっとも、幼い頃は祖父母の実家に飾られていた女の能面(私たちが寝泊まりする部屋にあったのだ)に大泣きして、帰省する度にわざわざ布を掛けてもらっていたのが。

表情の読み取れない中に潜む鋭い美しさ(それを表情が見えた、と言ってもよいだろう)が垣間見える時、何とも形容し難い恐怖にも似た感情を覚える。

なんだか話がまとまらないが、今私が学んでいる中部ジャワの古典舞踊に仮面の踊りがある。
歴史的に見ると、仮面の踊りは古くから世界中にあるらしい。

今日もその踊りを練習していたが、未だ実際に仮面を付けて練習したことがなく、ましてや本番で踊ったことすらない。
こんな時期なので先生にも直接会えず、踊るたびに仮面への憧れが大きくなる一方である。

私が仮面を手にし、そのキャラクターに憑依される日が来るのはいつになるだろうか。
仮面の目のわずかな穴から視える景色はどんなものだろうか。
その日が来るまでに、「私」という仮面を磨きつつ踊っていこうと思う。

(写真:http://wisata-indonesia-elipl.blogspot.com/2016/05/tarian-tradisional-surakarta-jawa-tengah.html より「トペン・グヌンサリ Topeng Gunung sari」)



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