当事者ではなくなり意識が遠のく感覚
オフライン
Namu
一時期ある物事に熱中していたのに、興味が薄れたり、
または環境が変わりその物事に取り組むのを停止してしまった場合、
あんなにもそのことが世界の中心のように感じていたのにもはや自分はその分野の世界の外側にいるんだ、
もう関係ない存在になってしまったんだと
圧倒的な壁が立ちふさがったような気がして悲しいわけではないけれど、
なんだか虚無感を感じる。
自分が存在することができる世界はその時々によって変化していく。
変わらないことなんて存在しない。
だから寂しさを感じる必要なんかない。
そう強く心に思おうと決めても、どこか振り切れない思いがある。
自分は今そのことに対して関心のパワーを向けることはしない。
いくつもの物事を同時に気に掛けるほど器用でないから、
ある程度の物事に関心の幅を絞り込むのは必然である。
そうすることが長期的に見たときに自分の成長につながるから。
進むためには、必ず何かを犠牲にしなければならない。
そういうわけで、今はあまり大好きな音楽に向き合えていない。
でも、必ずまたこれまで以上に真剣に向き合い直す機会が巡ってくることを感じている。
今はまだその時ではないけれど、
私は、心を揺さぶるようなチェロの美しい旋律、音の激しい起伏が大好きだ。
苦しめられるような旋律も好きだ。
そして必ず取り組みたいと思っている曲もある。
でも、豊かな音は、片手間で他に心配事がある状態ではとてもじゃないけど生み出せない。
だから、まずはその心配事をなくすための方法に徹底的に向き合って、
精神の安定の基盤を作る。
そうして一歩成長した自分の姿で、改めて真剣に向き合い、
自分が心から自分のこれまでの行動を認めてあげることができた時点で本当に豊かな世界を作り出すことができるようになるのだろう。
人の活躍・気配りの素晴らしさを見て、
自分のスケールの小ささ、至らなさが丸裸になりなんて甘えた人生を生きてきたんだろう、
なんて感謝の足りない生活をしていたのだろうと猛烈な痛みを感じるから
その痛みから逃れるためには、
今の自分を劇的に変えていくしかないと思ったりして突発的な行動を起こして疲れきるまで突っ走ったりする。
でも、限度を考えない、計画性のない行動はすぐ破たんする。
極端なダイエットでリバウンドするのと同じだ。
だから継続することができずに、結局振り返ったら根本的な部分は何も変わっていないことに気づきまた苦しくなるんだ。
こんなことを繰り返している。猛烈に悔しい感情に襲われては突っ走り、燃え尽き、ぐうたらな自分になり、またそんな自分が許せなくなる。
変わらなきゃ、根の部分を変えていかないと、
本当にもう取り返しのつかないことになる。
深く深く一生変えることのできない性質として根付いてしまう。
いつしか本当に変わりたいと思っていたのかすら分からなくなる。
今のままが一番楽なんだから、なぜ変わる必要があるんだと開き直る。
そういう人に私はなりたくないんだ。
だからもがいているんだ。常に変化を受け入れ、
挑戦を続け、己を磨き続ける人生なんだ。
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