自分の非を認めること

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Namu

自分の非を認めること

年齢を重ねるごとに、人は自分の非を認めることが難しくなる。自分以外の他者、例えば***には、平気でその”素直さ”を求めてしまうのに。
なぜ年齢を重ねるごとに指摘されたことに対して、
素直に認めることができなくなるのか。
その理由は、社会生活の中で自分の非を認めることが
自分や周囲の損失につながるということを、幾度となく経験してきてしまったから。


ある修行僧のお話。50年に一度の、一年をかけて宗祖に報恩感謝していく特別に忙しい年。


毎日の忙しさでピリピリした雰囲気に包まれていて
何かとスピードが求められる中で
自分を含め個々人の行動も雑になっていた。


あるとき、特別なお客様を接待するため
30品目を6人分、3時間のうちに一人で仕上げなければならなくなり
かなり焦っていた。


頭の中で手順を整理しながらやらなければ間に合わないのは
目に見えていたので
そのことだけに集中して作業を進めていった。


その矢先、一人の古参和尚に「おい、ちゃんとしろ!」
と突然大声で怒鳴られた。始めは何を怒られているか分からなかったものの、
よくよく聞いてみると、調理器具を取り出した後の戸棚が
開けっ放しになっていたことについてだった。


「何をそんなことで怒っているのか??優先順位が違うでしょ!」
と瞬間的に思った。


しかしその場を穏便に収める為に、そんなことは思ってはいても口に出さず


適当に謝って作業を続けた。
当然その時自分の非など
爪の先ほども認めていない。



時間内に無事料理は完成し、お膳が運ばれて行くと
やり切った満足感と達成感に浸って一休み。


しかししばらくして戻ってきたお膳はほとんど料理に口がつけられていない状態だった。


腕には多少覚えがあったので、食べなかった相手に自然と怒りの矛先が向いた。


しかし先ほど”戸棚の件について”怒鳴りつけてきた古参和尚が
”その料理を食べてみろ”と合図を送ってきた。


実は、完成した料理は、時間に追われるあまり
味見をおろそかにして、味付けがバラバラで
美味しくなかったのだ。



古参和尚があのタイミングで叱ったのには
大きな意味があった。



”優先順位”を振りかざして他のことを犠牲にし、
雑な態度をとってしまうことは
そこで既に重要なことを見失っていたという証拠。


戸棚の開け閉めにすら気を配れないようなものが、

料理を上手に作ることなど

到底できるはずがなかった。


人は誰しも自分の嫌な側面など見たくはないので
都合の良い言い訳で合理化して生活している。


年齢を重ねると、叱られる頻度は激減する。


それだけ自分の非に気づく機会を損失しているともいえる。


自分が失敗をしたと思ったときに、
それを他人のせいにせず素直に受け入れられるかが鍵となる。


自分の非を認めるということは、
自身で認められるだけの人間的度量があるということ。



”自分は過ちを***存在だ”
というごく当たり前のことに気づき、心底納得しながら生きていくことだ。

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