ジョグジャカルタへ
オフライン
なな
Grabのアプリを開いて配車予約を入れるのは、冷えた缶ビールをプルトップから開けるのと同じくらい簡単で、そしていくぶん実務的な作業だ。私はホステルの前に5時半という、いささか早すぎる時間に車を呼ぶことにした。早朝の闇がまだ街を覆っている時間帯に誰かが私のためにハンドルを握ってくれるというのは、考えてみれば奇跡に近い。
ジョグジャカルタ行きのバスは7時に出る。計算上、車で20分もあればターミナルに着くはずだが、人生には常に「予期せぬ摩擦」がつきものだ。ドライバーと上手く出会えなかったり、突発的な渋滞に巻き込まれたり、あるいは巨大な迷宮のようなバスターミナルで途方に暮れたり。私はそういうリスクをあらかじめ差し引いておくことにした。
結局、ターミナルに着くまでに40分を要した。私は少しばかり慌てて、なんとかバスの座席に滑り込んだ。バスが動き出したのは予定より15分遅れた7時15分のことだ。
隣り合った席には、22歳のインドネシア人の女の子が座っていた。彼女は私に、一緒に写真を撮ってくれないかと頼んできた。ピースサインを作る私の隣で、彼女はいくぶん誇らしげにシャッターを切った。友達に会いに行くのだという。家族に「無事にバスに乗ったわ」と報告するための、それが彼女なりのささやかな証明書だった。
私はそれから3時間ばかり、深い眠りに落ちた。
11時半、バスが停まった。「ここでお昼ごはんよ」と彼女が教えてくれた。バスのチケットには昼食代も含まれていた。彼女は私に、チケットを見せれば食事ができること、そして停車時間は30分であることを親切にレクチャーしてくれた。
食事はセルフサービスだった。私は欲望のままにおかずを皿に盛ろうとしたのだが、そこには厳格なルールが存在したらしい。私がトングで挟み上げたゆで卵は、食堂のお姉さんによって、静かに、そして断固として元の皿へと帰された。「それはあなたの皿には載せられないわ」というわけだ。
彼女と一緒に昼食をとり、インスタグラムの交換をした。彼女は有料のトイレ代をスマートに肩代わりしてくれ、おまけにお菓子まで分けてくれた。
私が彼女に返せるものは、あまりに少なかった。「タリマカシー(ありがとう)」という言葉が、もっと十分な重みを持って響けばいいのに、と私は思った。
彼女はジョグジャカルタに到着する少し手前で、「バイバイ」と軽やかに言い残し、私が返事をする暇もなくバスを降りていった。
目的地が近づくと、スタッフの男が私の降りる場所を告げた。私は「イエス」と答えた。彼はインドネシア語で何かを熱心に語りかけてくる。私が全く理解していないことを百も承知で、彼は言葉を押し通してくる。私はただタリマカシーの一点張りで微笑み、周りの乗客たちはそれを愉快な喜劇のように眺めていた。結局、彼が言いたかったのは「もうすぐ着くから前の席に移動しておいで」ということだった。
移動した先の隣の席では、一人の少年がブランケットにくるまっていた。
「日本人ですか?」
突然、完璧な日本語が飛んできた。彼は日本で働くために勉強を続け、先週、山口県にある味噌工場の面接にパスしたばかりだという。私は心からの祝福を彼に伝えた。
19時10分、バスは予定時刻ちょうどに目的地へ滑り込んだ。12時間の旅路は、不思議と私の体力を削りはしなかった。
私はGrabバイクの後ろに乗って、まるで胸キュン映画のワンシーンのような気分を味わいながら宿を目指した。宿の外観はほとんど民家で、看板すら見当たらなかった。ドライバーが中の人を呼び出してくれなければ、私は街の片隅で永久に彷徨い続けていたかもしれない。
オーナーの女性は穏やかに微笑み、8歳くらいの娘は愛らしかった。だが、そこはなかなかに覚悟を必要とする場所だった。
もちろん、これまでに同じような場所を経験したことがないわけじゃない。ただ、それを完全に受け入れるためには、いくらかの静かな時間が必要だった。私はここで新しい年を迎えることになる。
とりあえず体を洗うのは明日の朝まで先送りにすることにして、泥のように眠ってしまうことにした。電気のスイッチは、いくら探しても見つからなかった。
私は眩しすぎる光の下で、時に不吉な夢の断片を見ながら、浅い眠りを何度も繰り返した。
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